※タイトルで言いたい事は全部なので以下すべて蛇足になります。
2020年春、10年ぶりくらいにジャニーズに出戻った。こんな歳にもなって、久々に若い男の子たちのことを全力で追っている。
SMAPの一件*1以来それなりにそこそこの適度な距離感を取って事務所と付き合っていたうえに昨今のJr.に至っては全くの無知だったわたしが、気づいたら情報局に加入するまでになった経緯を(自分でもよくわかってないが)多少整理をしつつ、生きることがはちゃめちゃにしんどいこの2020年上半期をどうやって生きているかを自分でも見返すために、久々にここに長文を書きます。
2020年上半期の最大ポイント。
オタク、なにわ男子に落ちる。
まさか、まさかまさか。
令和になってジャニーズに出戻るとは思っていなかった。SMAP解散から丸3年、予想外の展開。
とはいえこれ、なぜだか自分でも経緯がよく分かっていない。が、よくよく考えると多分ハイチュウ前後のあたりかな〜とは思っている。
「なにわ男子」という名と、青いキラキラの衣装を着た関西ジャニーズJr.のユニットがあるということは知っていた。おそらく初見は2019年の例の行列に出た時だと思う。
足を折っていた関ジャニ∞大倉くんと、レッスン場の休憩時間で宿題を広げる学生組に「楽屋でもこんな姿見たことない」と野次を飛ばす年長組、その後のスタジオトーク、若い子達たちが爪痕を残そうとしている!と思っていたことをうっすら覚えている。
そのころからなんとなく「なにわ男子=関西ジャニーズJr.*2の若い可愛い子たち」という認知状態で春も夏も秋も過ぎ、年の瀬の紅白、エイトさんたちのバックでピカチュウと踊る彼らを可愛いの塊だな…と思った記憶があり、カウコンを眺め、結局特に彼らと親睦を深めることもなく2019年が過ぎ、スノストのデビューを経験した2020年春、Twitterである日森永ハイチュウの「#君にハイチュウドウゾ」企画が始まった。
わたしはそもそも関ジュどころか若手ジャニーズに対しての知識そのものがゼロに近かった。冒頭でも10年ぶりくらいと記載した通り、わたしが若手を追っていたのはJUMPデビューしたてしばらくの頃までで、その後は気が向いた時にザ少年倶楽部を眺めるくらいの茶の間に毛が生えた程度の認識だった。2018〜19のカウコンでは「キンプリの髙橋くんと永瀬くんの区別がつかない*3」と嘆いており、「スノストラジャ」という単語は知っていたが、SnowManとSixTONESのメンバーすらデビュー時のテレビ露出でメンバーを把握したぐらいのレベル。関ジュに関してはもっと酷く、なにわ男子に本格的に触れ始めたところで「この子(西畑くん)は死んだかっちゃんとはつの次男坊か!?*4」となっていたほどだった。
こうして少しずつ振り返っているのだが、結局いつもどこでどうやって今の現状に辿り着いたのか、いまいち覚えていないのだ。確かなきっかけがどこに潜んでいたのか今となってはもう思い出せなくて情けないのだが、気づいたら毎日のように彼らの情報を掘り続ける日々になっていた。
多分このハイチュウドウゾが始まった辺りでわたしがだんだんとなにわ男子にザワザワし始め、そのタイミングで師匠に「ISLAND TV」の存在を教えてもらったり、「まいど!ジャーニィ〜」と「なにわからAぇ!風吹かせます!」というテレビ番組に出会ったり、再度少クラの試聴を始め、勢いでJr.情報局に加入したのもこの頃だと思う。多分整理すべきはここのあたりの時系列と記憶なのだろうが、毎度の沼落ちの時と同じようにここのあたりの情報量とスピード感が凄まじく、毎度のこととはいえ詳しく書き出すことができないのがもどかしい。
あとはもう、回り始めた回転寿司のように(©︎ドリフェス!)果てしなく止まらずに転がり落ちるだけだった。彼らのことを認識してから改めてダイヤモンドスマイルに出会ったオタク、たしかに衝撃が走った。とはいえ長くなるのでこの話はまた後日。
推しの話をします。
時々こうやって何かのコンテンツに転落した際に振り返るのだが、何故だかいつも推しを見つけた時の詳細を覚えていない。
気づいたら目で追っていた、気づいたらその子のことしか見ていなかった、こうやって推しが決まる。今回もまさにそのパターンだった。
気がつくと西畑大吾くんのことばかりを目で追っていたし、気がついたら彼を応援するしかないな、と思っていたなという印象*5。
わたしは彼が魅せてくれる「プロフェッショナルとしてのアイドル」が大好きだ。
わたしが彼のことをきちんと認識したのは彼の長いアイドル活動期間の中でもほんの最近だが、「関西ジャニーズJr.のセンター」として中心に居続けること、その責任と重圧はニワカに毛の生えた程度のわたしでも想像するだけで肌がピリついてしまうほどだ。それを年端もいかない頃からその小さな背にすべて背負って、それでも日々ステージに立っていたと思うと上手く言葉に言い表せない。
露出が多い事はアイドルとして活動していく上でもちろん良いことだ。本人たちも(基本的には)それを望んでいるだろうし、それが上手く出来ずに世界を去っていく子たちも沢山いる。それでも日々表舞台に立ち続けることによって感じたり生じたりするであろう心のすり減りは、我々一般人には到底測り知る事はできない。彼は我々の前ではいつだって「楽しい」というプラスの感情を隠さないでいてくれるが、きっとつらいことも泣いたことも悔しかったことも心が折れかけたこともたくさんたくさんたくさんあるんだろうけども、それらを仲間と共にすべて糧にした今、改めてなにわの赤を背負いながら、子どもの頃と変わらずにお茶目に笑い、歳下と共にふざけがちで「グループの軸が曲がる!」とメンバーにネタにされながらも、真っ直ぐスポットライトを浴びてゼロ番に立ち続ける彼は、とても美しいなと思っている。
私は根っからのアイドルオタクだが、基本的にアイドルという職業に対して全力でプロフェッショナルな人*6が好きなので、日々彼のことを知るたびに、彼に惹かれていったのは必然だったのかもなあ、と思ったりもする。RIDE ON TIMEは怖くてまだ観れてないので、いま観る勇気を集めています。
とはいえ今回、のめり込んだ時期が時期だった。
2020年春、世界中の空気が重たい。わたしが彼らを知った時点で彼らのツアーの両国公演は延期を余儀なくされていたし、この先どうなるかは分からない。わたし自身もなかなか笑えない日々を送っているし、彼らも彼らで相当もどかしい日々を送っている事だろう。
だけどこんな時の直前にわたしは彼らに出会ってしまったのだ。彼、彼らのキラキラとした笑顔とパフォーマンスに、日々投稿される動画に、笑えない日々を送っているわたしの心は確かに救われている。
この気持ちを手紙に書こうと思った。
そう、なんとオタク、ファンレターを書きました。
めちゃくちゃ、久しぶりに。何年ぶりか?と思うほど、眠らせていたレターセットを手に取った。
久々に誰かに手紙を書こうと思い立った。
原動力は、日々しんどいな〜と思いながら生活してるわたしの心をささえてくれてありがとう、この時期だからこそ、きちんと直接感謝を伝えたい、その一心だった。
震えるペンで手紙を書いていたとき、当時10代で手紙を書いたけど恥ずかしくて出せなかったあの頃の自分を思い出した。もう誰にどんな言葉を書いたのかも全く思い出せなくなってしまったけど、必死にペンを走らせていたあの瞬間のわたしは、まるで10代に戻ったかのようだった。上手く纏まらない言葉を必死にかき集めて手紙を書きながら、わたしはもしかして幼かったあの頃取り残してしまった「手紙を出せなかった」後悔を、偶然にも今ここで拾い上げる良い機会を貰ったのかもしれないな、とふと思った。その機会を与えてくれた西畑くんには頭が上がらない。
そうして一気に必死に書き上げた手紙を二度と見返すか畜生!ぐらいの勢いで封をしファミクラ宛にポストに投げ込んでそのまま記憶に蓋をするが如く日々を過ごした数日後、情報局にJr.レターの関ジュ版が更新され、もちろん西畑くんからの手紙も来た。タイミングに慄きつつ薄目で読みに行ったら、彼はあろうことかファンレのことを
「恋文」
と一貫して表現をしていて、激重ファンレをポストに投げつけたばかりだったアラサーオタクはどうしようかと一人で頭を抱えていたことは補足として付け加えておく。
どうやらわたしはこんな歳にもなって恋文を必死に認めていたらしい。一人で抱えるのは恥ずかしすぎたので皆様と共有させて頂きます。
そんな笑い話をしつつ、時は2020年初夏。
毎年ワクワクが止まらない夏がそこまでやってきている雰囲気なのに、これからの世界と社会がどうなっていくのか全く先行きが不透明で、相変わらずわたしの日々は笑えない。
それでも笑えない日々を過ごすわたしの心を確かに救ってくれているのが、彼らとの出会いだった事は間違い無いし、そうやってジャニーズの若い子たちにキャッキャしている横顔をハロプロからの刺客「VITAMIIIIINS」に全力で殴られたというのは、また別の機会にお話しします。
* * *
まあとりあえずはこれを見てください。
(再生即なにわ男子です)
これはVITAMIIIIINS