僕らの証明はどこにある

毎日生きることに必死なオタク

半年分のくだらない話

※あまり面白い話ではないです。

 

 

 

 

 

 

 

 

*    *    *

 

世間の事象がめまぐるしく変化した2018年最初の四半期、私はニートだった。

 

新卒から勤めていた会社を、思い返せば成り行きと勢いだけで辞めた。

上司にジョブローテの相談をしていたはずなのに、それが難しい、という結論になった途端「じゃあ辞める日決めないとな」と告げられ、はあ、などと言っている間に2017年いっぱいで退職することが決まった。10月末のことだった。あー私辞めるのかーとうとう仕事辞めるのかーなどと他人事のように思っていたらアレよアレよと事が進み、結局その日付通り12月の締め日で辞めた。

元々あの職が限界ではあった。限界だったからジョブローテの相談をしたのだが、所詮中小、それが難しい状況だった。半ば分かりきった結論だった為、じゃあ仕方ない次の職でも探すかとは思ってはいた、思ってはいたがまさか先に社長側から「辞める日決めないとな!まあ第3期が終わる頃が一番都合いいだろ。12月いっぱいってとこか?」と切り出された時は、辞める意思を固めていたとはいえ少し焦った。なぜなら時期が時期だったからだ。当時はもう10月下旬。地方の限界一人暮らしでジリ貧自転車操業な生活していた私に、あと2ヶ月で勤めながら初めての転職先探しをし、辞めた後安心して生活できるだけの蓄えを貯金することの同時進行は出来ないだろうと心が折れた。悲しきかな限界自転車操業マンには家賃を安定して払える程の貯金がなかった。

諦めて2ヶ月仕事をして、その後は実家に帰ることを決意した。

「石の上にも三年って言うだろ?入社した時にも言ったけど、三年弱やってみてやっぱりってなったってことは、やっぱり君には向いてなかったんだよ」とは、ありがたき社長の言葉だ。向いてないから次に行きなさいと背中を押してくれる社長というのは本当はありがたいことなのかもしれない。でも新卒からこの会社で働いてここしか知らない私にとって「向いてない」とトップに言い切られてしまったことは物凄い衝撃だったし、おそらく社長としてはこの後に続いた「でもこの経験は無駄じゃないと思うから次でも糧にして頑張りなさい」を伝えたかったんだと思うが、その前の言葉がなかなかにショッキングだった私には当時はその励ましはあまり響いてこなかった。

今思えば、有難い言葉だったのだと思う。

ちなみに「俺がみっちり研修した世代だからお前たちのことは最後まで面倒見るから安心しろ」と、以前私たち同期にそう言い切った副社長からは、ジョブローテの相談を持ちかけてから辞める結論に落ち着き退職するまで、結局一切のレスポンスが無かったし、退職間際に本社に挨拶に挨拶に行った時もまともな反応は帰ってこなかったのが少し悔しい。

 

そんな退職を決め粛々と残りの日々を勤め、そのまま退職し職探しをしている間、私は何の因果か非常に奇妙な生活をしていた。

 

 

 

 

前職に、一つ下の営業の後輩がいた。

が、別の拠点に配属されていたので、当初は大した接点はなかった。強いて言えば外部イベントに若手が駆り出された際に顔を合わせたり、研修で一緒になったり、そんな程度だった。

彼は出会った時から骨の髄から営業マンだった。客でも上司でもない、そこまで仲良くもない他拠点所属の人間でしかない私ですら「その服いいですね!似合ってます」とか「今くらいの長さの髪が一番綺麗だと思いますよ」などとポロっと会話の中で自然に褒め出すので、普段から当時の上司にボロクソこき下ろされ続けていてあまりにも褒められ慣れていない私は正直泡を食った。多分そんな他人でしかない私にですらこうなので、普段からこういう人間なんだろうと悟った。なんとも営業マン向きな人間だと、いつも感じていた。

10月の半ば、会社をあげて大型イベントに出展した。事前準備から当日の3日間がっつり取り組む大きなイベントだったのだが、その時のメンバーに私と後輩が含まれていた。歳が近いのがお互いだけだったので、そこで初めてしっかり長く話した、そんな気がする。体力的にも精神的にもきつい外部仕事だった。お陰で仕事の愚痴も弾む弾む、終わった頃には随分と打ち解けていた。

「先輩、打ち上げにご飯食べいきましょう。回転寿司がいいです」

その誘いに私は二つ返事で乗った。

 

彼は私の勤めている拠点の近くの、語弊を恐れず言うと古びたアパートで一人暮らしをしていることを、この時初めて知った。

「大学時代からずっと住み続けてるんで、慣れたもんですよ。不便もしてませんし、今更引っ越す気もあんまないですしね」

しこたまドレッシングのかかったサーモンの寿司を食べながら、彼は笑った。

「でも冬に部屋の中冷蔵庫みたいに冷えるのだけは何度体験してもきついんですよねぇ」

大人しく引っ越せばいいのに、と思った覚えがある。

分かってはいたが彼は骨の髄まで営業マンだったので、何より会話がうまかった。気づけば私の話を相槌を打ちながら聞いていて、適度に私が喋りやすいように質問を投げかける。プロと話をしているとずっと感じていた。気づけば長いこと話し込んでいて、彼の出身が私の祖父母の家とごくごく近所なこと、やり込んでいるゲームが似ていること、お互い地元を離れて一人暮らしなので休日はひきこもってゲームに興じることなど、とめどなく話し続けている中で妙な共通点がたくさん見つかった。ただ、どういった会話の流れだったかまでは覚えてないのだが、私はそこで彼に説教をされた。

「先輩は自分を綺麗じゃないとか可愛くないとか俺に言いますけどね、俺はそんなことないと思いますよ。自分を卑下しないでください。先輩はめっちゃキレイな方です」

ここは語弊なしで恐ろしい奴だと思った。こいつは絶対にモテる男だろうと妙に確信した。後輩ながら末恐ろしい人間だと思いつつ、先輩面をしてそこの会計を全部持った。

「せっかくなんで、今度は飲みに行きましょう」

その日はお互い車だったので、ファミリー向けの回転寿司チェーンだった。会話自体は楽しかったし、恐ろしい奴だとは思ったが遊んでいるようではなかったし、人のことをよく褒めるのは営業マンとしてはスキルの一環であるのはよく身に染みているつもりだった(私も仕事では使っていた)し、悪い奴ではなかったので、大人しく連絡先を交換して帰路に着いた。

 

それから数日、定休日前日のお昼時だった。

彼から連絡が来た。飲むと絡みが鬱陶しいと名高い別の先輩から、今晩サシ飲みの誘いが来たらしい。

「先輩一緒に来て助けてくれませんか?」

残念ながら私はその日夜に友人と食事の約束をしていたので、その旨を伝えて丁重にお断りした。私は私で高校時代の友人と思い出話に花を咲かせつつ、「がんばれ」とだけ彼の携帯に連絡を入れた後は、街の繁華街で飲み漁っていた。

日付が変わって、しばらくした頃だった。

友人と別れて駅前でタクシーを探していた私のスマホから通知音が鳴った。

「先輩、どこで飲んでるんですか?」

駅前で飲んでいたこと、もう帰路についていることを伝えると、彼は相当酔っているの何やら喚き出し、ついには

「先輩と飲み直したいので、先輩の家に行きます」

と告げてきた。我が家?なぜ我が家?などと酔った頭で混乱してるうちにタクシーが我が家の前に着き、降りて運賃を支払っている間にもう一台タクシーが着いた。そういえば前にイベント出展の際に停める車の台数をできるだけ少なくしろと言われ、家から彼に拾ってもらい二人で直接現場に出向いたことがあった。うっかりしていたらもう家の前に集う私たち。時刻は午前2時だった。

そもそもここで家にあげる選択肢を取ったのが全ての間違いだったのだろうと思う。酔っていたことを言い訳にするつもりはないが、酔った勢いに任せてしまったという言葉がおそらく一番ぴったりだっただろう。

家にあげて、玄関を通り短い1Kの廊下を通り抜け、真っ暗な部屋の扉を開けた瞬間に、ぐっと後ろから抱きすくめられた。ああやっぱり、そんな気持ちが大きかった覚えがある。そのまま色々と耳元で囁かれた記憶があるが、内容までは細かく覚えていない。そのままジリジリとベッドに追いやられ、ちょうど目が暗闇に慣れ相手の顔が認識できるようになった頃、

「俺を都合のいい男にしてくれませんか?」

と言われたことだけは鮮明に覚えている。

どう返答したかまでは覚えていない。

 

 

その日以来、彼はよく私の家で過ごすようになった。

彼の部屋が私の職場の真脇だったのとは逆に、私の家は彼の職場の真脇だったのだ。彼のオンボロアパートに比べ我が家は多少広く、かつ鉄筋コンクリートであったが故にそこそこ暖かく、これからくる田舎の寒い冬ごもりの巣にするにはちょうど良かったのだろう。

私は私で前述したように退職の件で上司や社長と話を重ねていた時期だったので精神的に弱っていて、家に人がいるということがこんなにも精神衛生上良いことなのかと噛み締めていた。

こうしてあまりにもわかりやすく、私は彼に、彼は私の家に徐々に依存するようになっていった。

私は仕事終わりにスーパーに寄り買い出しをし、自分では飲みもしないビールを買い込み、帰宅して二人分の夕飯を作り、二人分の洗濯を回した。その間に後輩を風呂場に叩き込み、夕飯の準備を済ませ、風呂から出てきた後輩は冷蔵庫から冷やしていたビールを取り出し、その後二人でちゃぶ台を囲みながら夕飯を食べつつテレビを眺めて洗濯を干し、そして眠った。朝ドタバタと化粧をする私を横目に後輩はのほほんと髭を剃り、そのまま我が家から二人で出勤をする。職場は異なるとはいえ同じ企業だったので定休日は同じだったので、休みになれば二人で車に乗って適当に買い物をしたり、家でずっとゲームをしたり、思いつきで遠出をしたりした。

長年一人で暮らしていた部屋で、一瞬にして二人での生活が日常になった。

 

 

付き合っているわけではなかった。

少しずつじわじわと既成事実だけを積み上げて、敢えて表現するとしたら最初に後輩が言ったように「都合のいい男」と「都合のいい女」の関係になった。白だとか黒だとかそういう言葉は何もなくて、彼は私が呼べばうちに来たし、呼ばなくても来た。彼は「ここの部屋は人がいるし鉄筋コンクリートだし暖かい」などとのたまいながら、私のアパートの部屋で私のジャージを着込んで、私の買ってきた缶ビールを片手に一緒に準備した夕飯を食べ、我が家から出勤していった。

思い返せば、私は私で職場の辞める辞めない騒動で自分自身がメンタルヘルスがベコベコだった為、頼られたり拠り所にされたり尽くしたりすることはやぶさかではなかったし、名前がついていなかったとしても、この関係性は嫌いではなかった。時にはでろでろに甘やかしてくれたし、時には頼りになって、案外この関係を楽しんでいる自分がいた。それは重々分かっていた。

側から見ると完全に付き合っている男女だったのだろう。私たちが行なっている生活も行為も、完全に男女の半同棲だった自覚はある。でも決して私たちの間にそのような言葉はなかったし、暗黙のうちにその言葉を出してしまったら今のこのフワフワとした関係が終わるような確信があって、敢えて好きだの嫌いだの惚れた腫れただのというような話を避けていた気がする。

私と彼は、決して恋人ではなかった。

 

当たり前のように友人からは怒られた。もっと自分を大切にしろと泣かれた。

ただ私自身は自分を雑に扱っているつもりは全くなくて、逆に自分が依存していることも薄々理解はしていた為、そうだね〜と言いつつも終わらせることに関してはどこまでも後ろ向きだった。

前述の通り、私は仕事を辞めて実家に帰ることを決めていた。だからアパートを引き払う話を進めていたのだ。私自身この状態を終わらせることにどこまでも後ろ向きだったにも関わらず、物理的なリミットは間違いなく存在していた。もちろんそれは後輩も私が辞めることも引っ越すことも全て把握した上で入り浸っていたし、それを持ち出して夜に喚く私を宥め、諌めてくれることも多々あった。

退職が社内で開示された際、社内の人から「これから忙しくなるのに中途半端な時期に*1」などと言われることがままあった。ありがたいことに惜しんでくれた方も居たのだが、後ろ指を刺されていることを突きつけられるのは流石に堪えた。恥ずかしながら私は荒れに荒れて、度々後輩を相手取って八つ当たりをしながら泣いた。迷惑をかけていたと思う。

「先輩は悪いことをしているわけではない」「辞めることは悪ではない」

「自分の人生を決めるのは自分だ」

そう言いながら毎回宥められていた私は、人として弱く子供だったと思う。逆に思い返すと、この時期も毎晩ひとりで家で過ごしていたらどうなっていたのだろうかと思うと今のように立ち直ったかどうかわからないので、少しゾッとする。まあ日々淡々と過ごすだけ過ごして辞めて、今よりも重く沈んだ状態で年度末を過ごしていたのだろう。

 

 

 

そのまま色々あったとはいえ予定通り私は12月末で退職し、1月中にアパートを引き払う流れになった。

後輩は私が仕事を辞めたあとも我が家に通うことはやめなかった。年を跨いで明けても、明けましておめでとうございますなどと言いながら我が家から出勤し、我が家へと帰宅した。私は日中荷造りをしながら夕飯を仕込み、帰宅した後輩を甲斐甲斐しく出迎えるようになった。

今思い返すともうこの時点では完全に戻れなくなっていたのだろうと思う。度々「とりあえず撤収する」と荷物をまとめて出ていかれる度に異様に心細くなり、もう何年も一人で住んでたはずの部屋に一人でいるのが非常につらかった。そしてそのうちこちらから連絡をしてしまうザマだった。依存している自覚は勿論あった。つらかった時に寄りかかってしまった所為で、ひよこの刷り込みのような状態になってしまっていたのだろう。

そんな生活がしばらく続いた。

 

 

 

2018年1月中旬。あらかた荷物も実家に運び込み、アパートの引き渡し日まで残り1〜2日を切った時点でも引き続き後輩は我が家で寝泊りをしていた。もうすぐこんな生活もおしまいだねー、そうだねー長かったねー。そうです気づいたら3ヶ月もこんなことやってたんです。

この時点で私自身もう引っ込みどころがつかなくなっていた。一人で生活する際ののメンタルヘルスとか、誰か寄りかかる人間のいない時の生活方法とか、そういった一人の人間として「自立」ということから遠く離れて、軸がデロデロに溶けて無くなってしまっていた。もう無理だと、このままでは離れられないと、そこまで思い詰めるほどになっていた気がする。今思い返すと滑稽で仕方ない。しばらく人と生活することを忘れていた人間がその楽さから逃れられなくなっていただけだったと今なら思えるのだが、当時の私には深刻だった。

 

「好きになってしまった」と。

アパート引き渡し直前の夜、そう告げた時の彼の初期反応はなんとも言えない声色の「そうか……」だった。明確ではなかったが、確実な拒否だった。私は彼の中のカテゴリでは私が思い描いたところより少しずれた場所にいたらしい。分かっていたけど認めたくなかった。

しかし、どうあがいても私と彼は決して恋人ではなかった。

終わり方はあまり美しいとは言えなかった、と思う。思い出すだけで結構虚しくなるので多少ボカすが、話し合いをしようと向こう側の仕事終わりに待ち合わせをした*2近所のポポラマーマでそこそこ揉めた。分かってはいた結論に着地してるのになんだか非常に悔しかったので、過去最大級に完璧にメイクをしてしっかりヘアセットをして服も完璧に用意して戦地に赴いたのだが、向こうもそれを察したらしく「今日すっごく綺麗にしてるね」と声をかけてきた。半ばやけくそ気味に「そうだよ、そりゃそうだよ」と吐き捨てたら、ごめんと謝られたのが凄まじく悔しくて虚しくて、それでも恋心を捨てきれなくてなんでこんな歳になってまでこんな不器用で馬鹿みたいなことしてるんだ私と、羞恥と自責がぐるぐるのごちゃ混ぜになって、正直ものすごくしんどかった。

完璧にメイクした顔は、一人で帰宅して鏡を見たらボロボロのパンダ目になっていて、マスカラまつげかよと乾いた笑いが出た。ドリカムのMVに出られるのではないか。私は付き合ってなかったけど。ハンカチは所々黒かった。

 

 

修羅場を起こしたのちアパートを引き払って以来、ニートと化した私はしばらく実家に引きこもっていた。

手に職がない状態で半同棲をしていた男にこっぴどく振られ、全て自分で蒔いた種とはいえ精神的ダメージが酷かった。とにかく何をするにも気力が湧かなくて、メディアや交通網が大混乱するほどの凄まじい豪雪だったことを言い訳に家から出ず、毎日ひたすら家の前を雪かきする日々を送っていた。当然何もせず引きこもっている無職のアラサー娘に対して親の風当たりがよい訳もなく*3、些細なことで衝突を繰り返しては部屋に閉じこもる状態だった。

 

当然情緒は相変わらず最悪な年中生理前みたいな状態だった。

たくさん逃げ口実を作りながらひたすら惰眠をむさぼり雪かきをしながら家政婦のように実家の家事をこなすことで時間を消費していたが、時間が消費されると同時にやはり金も消費されていくもので、生きていくだけで税金やら年金やら保険やらでお金がみるみる飛んでいく。目減りしてゆく口座の残高は私の恐怖感や焦燥感を毎日のように煽り続け、単発の工場バイトでお茶を濁しつつ、気がついたら雪の峠を越え始めた頃、些細なことでぶつかり続けては放置し続けてくれていた両親の堪忍袋の尾が切れた。

私が仕事を探している様子がないのにほっつき歩いてたこと*4に痺れを切らしたらしい。これ以上親の脛をかじり続けるわけもいかないことは分かっていたので、勢い任せで腹をくくり本格的に転職活動を始めた。

気がつけば時間をドブに捨てたような1〜2月が終わり、暦は3月に突入する頃だった。

 

様々紆余曲折はあったがなんとか結果無事に内定が決まり、脱ニートを果たした私はそのまま再度引っ越しすることになった。数ヶ月前に梱包した段ボールをまるでピストン輸送のようにそのまま抱えて実家を飛び出し、再度別の土地で一人暮らしを再開して今に至るのだが、正しく換算すると昨年10月末以来の完全ソロライフなので、実に半年ぶりの一人暮らしだった。

正直最初は心配だった。

前住居の最後が完全に一人は無理!状態だったので、今回もそうなってしまったら嫌だなと思っていたのだが、意外となんとかなっている、気がする。一人が当たり前だと一人で生活するのがスタンダードなので、別に何か不足をしているように感じることもないのだと知った。昨年10月末以前の自分に戻っただけだと、だいぶ安心した。

実家にいた頃は衝突ばかりだった両親とも、また物理的距離が出来てからは予想以上に穏やかにやり取りをしている。そもそも決して仲が悪い訳では全く無くむしろ関係は良好なはずなのだが、たぶん私の立場や心理的状況が異様に悪かったせいで毎日ぶつかってただけなので、実家や両親は大好きだけど、もう私の住むところではないのかもしれないなと一抹の寂しさを覚えている。

 

 

 

 

ここで告白するが、後輩の件の彼とは、完全に縁が切れたように見えて実はそうではない。

今だに時々くだらないLINEのやり取りをして、時々「早く俺よりも良い男を見つけなよ」と言われる。その都度未だ捨てきれない未練とか虚しさとか遣る瀬無さとかがごちゃ混ぜになったハチャメチャな感情が湧いたりもするのだが、一時期よりはだいぶ穏やかになった、と、思う。たぶん。

 

 

後輩の話に戻るが、何故ここまであの人に固執してしまうのかと考えたことがある。

褒められたことをしていたとは一切思ってない。一般的に見れば私の行動は間違いなく過ちで、私が私の友人の立場でも怒っただろうし、全力で止めたと思う。

あの後輩は考えてることも行動も私の思考とはかけ離れすぎていて分からないことだらけなのだが、だからなのかなあと、少し思った。彼には私の世界観をガラッと変えられてしまった気がしている。

後輩はどこまでも自由で、猫のような人間だった。

要するに超絶マイペース。ゴーイングマイウェイ。自分の思ってることを肯定して素直に口に出して行動することの何が悪いの?って感じ。私にはそれが新鮮すぎたのだと思う。

私は自分に自信を持てたことが人生で一度もない。言い切るが本当にない。自己肯定できた試しがない。

いつでも自分に自信がないし他人の目が怖いのに、絶対に悪く見られたくないし幻滅されたくないと思ってしまうのだ。だからいつでも全力で猫をかぶるしあまり本音を曝け出したことがない。自分の考えを持つのも苦手で、どうしたいのかと聞かれると戸惑ってしまう。伝えたことを否定されるのが怖いから。

それでもそんな私を肯定してくれて、悪いところはだめだと指摘して、それをすごいと告げるとそんなの当たり前だろとでも言うように唸る性格があまりにも眩しくて、こんな私でも明け透けになっていいと言ってもらえたような気がして、無い物ねだりでそんな性格に憧れてしまったのかもしれない。実際後輩の前だと取り繕うことは本当に少なかった。素直に笑うし怒るし悲しむことが、こんなに楽だと思わなかったことに、気づかされてしまったのだ。

それでもいつでもこんな生き方は、私にはどうあがいても無理だから。

今だに時々あまりの無神経具合に繊細ヤクザみたいな私は凹むこともあるが、たぶん無頓着なだけだから私もそんなもんかと思うようにしている。

図らずも出来た物理的距離が依存を薄めてくれているような気がして、このまま少しずつフェードアウト出来ればいいなとは思っている。

 

 

 

 

自分でもこんなことになるとは全く思っても見なかった。顔の良い男追っかけてただけなのに、よく分からないうちになし崩しに男と暮らして男と修羅場を繰り広げていたことに、思い返して自分で笑ってしまう。まるで面白みのない使い古された同人誌のネタのようで、あまりにも滑稽だ。

それでも当時の私は必死だったし、正直今でも相当必死だ。生きることは大変で、もどかしくて、うまくいかなくて、弱い私はいつだって依存先を求めてしまう。それが普段はゲームだったりアイドルだったりしたのだが、偶然近くに降って湧いた男に縋ってしまったのが運の尽きだった。それが思いの外心地よかったのだ。ものすごく久しぶりに触れた温かな人肌は、すっかり忘れ去って頭の奥深くに仕舞い込んで埃を被っていた私の「女」を引っ張り出したし、それが自分でも久々にワクワクしてしまったんだと思う。綺麗にまとまった。つまりそういうことである。私は弱い人間で、何かに縋ってないと生きていけない。アラサーにもなって、情けない限りである。反省はしておりますが出来れば石は投げないでいただければなと思います。馬鹿なことをした自覚は十二分にある。

もっと自分の足で立って生きていけるようにならないといけないなあと、毎日ずっと噛みしめている。

 

いつかもっと笑い話に出来ればいいなと思いながら、あの頃二人で住んでいたアパートとは遠く離れた土地で、今日も一人で出勤をする。

LINEの通知は、まだ鳴らない。

おやすみなさい。

 

 

 

 

 

 

 

*1:前職の繁忙期は1〜4月だった

*2:あれだけ散々我が家に入り浸ったのにこういう時は外食だったのが思い返せば腑に落ちない

*3:出戻った当初はそこそこ腫れ物扱いをされたがしばらくすると当然だが完全にニート扱いになった

*4:横浜にライブ行ったりしてました