僕らの証明はどこにある

不器用で下手くそ それでも人生さ

やっと初めて生で演劇女子部を観たパトス

「続・11人いる!〜東の地平・西の永遠〜」を観てきました。
EAST公演しか観られなかったことが非常に悔やまれるのですが、せっかく観に行って多少なりと思ったこともあったので、言葉が汚かったり語彙がなかったりするのですが、備忘録がてら文字に残しておこうと思います。

※容赦なくネタバレしてます。ご了承ください。




だーどぅーコンビについて




そもそも個人的に10期推しで、さらにその中でも石田亜佑美ちゃんと工藤遥ちゃんが推しメンではあったのですが、昨年度の演劇女子部のTRIANGLEに引き続きこの二人がタッグを組むということで、観る前から安心感はありました。

安心感です。そう、安心感。

ただ、タダ、観終わった後の私に残っていた感覚は、観る前とはちょっと違う、ちょっとまずい、別ベクトルのなにかでした。

ええ、そうです。
コンビ沼ですとも。
あとはお察しください。
だーどぅー沼。そこはエデンへの入り口。


タダ(as 石田亜佑美)



私の推しメン、石田亜佑美ちゃんです。

過去作品で彼女が演じていた役柄は、キップのいい、勢いのある、ハキハキしたタイプの女の子や、恥ずかしがり屋で、多少ふわふわとしたお姫様。
しかし今回彼女が演じている役は、両公演とも男役。
正直観る前は、未知の世界だなあと想像できない世界でした(公開されてたビジュアルやポスターがあんまりにもイケメンなのは知ってた)(贔屓目を抜きにしても彼女は男装似合いますね)。
まあ私の一抹の不安なんてただの杞憂だった訳で。

そこには、男の子が居ました。
立ち姿や、歩き方(そもそもあゆみんは多少歩き方が男の子っぽい部分がある)、腰を落とした振る舞い、その一挙手一投足が、きちんと男の子のそれだったことに、ひどく感動しました。
フロルの肩を抱き寄せようとして、手を上に上げて、一瞬逡巡してから腕を回す、その動作。
ちょっと奥手で、口数もそんなに多くなくて、でも大好きな人を、大切にしたい。
好きだから、好きだからこそ、うまく伝えられないし、危ない目にあわせたくない。
そんな不器用な少女漫画の主人公みたいな男の子のタダだったなあと思います。
どぅーのタダを観ていないけど、またきっと毛色の違う、どちらかというともう少しスマートやタダなんだろうなあ、と。そんな気がします。

引用したツイッターにも書いてありますが、フロルを庇って声をはりあげるシーン。
本当にしびれました。心底格好良かったです。


フロル(as 工藤遥)



可愛かった!!!!!!!!

その一言に尽きます。

可愛かったんです。
いや可愛いんですよ、工藤遥っていう女の子は。可愛いんです。クリッとした大きな目に、ぽてっとした唇と、ベビーフェイス。
ただ、ご存知の通り自他共に認めるイケメンであり、いうならば女子校の王子様。普段からそんな立ち位置の子です。
過去の舞台作品でも、演劇女子部になってから演じた役柄は、男の子ばかり。
でも、だからこそ、そんなどぅーだったからこそ、男と女の狭間で揺れてるフロルを演じたのかなあと、ぼんやり思います。

「お前のためなら、女になってもいい」
って、すごい台詞ですよね。
男になりたくて宇宙大学を受験したけども、好きな人の為だったら、女になっても構わない。こう言い切れるまで深くその人を愛せるフロルって、本当に真っ直ぐですごい子だと思います。
だからこそ、フロルの「言葉を聞きたい」「愛してるって言ってほしい」っていう気持ちも、分からないでもないんです。

そんな一途なフロルを、思いっきり可愛い方向のベクトルに振り切らず、多少のがさつさや男の子っぽさを持ち合わせて、でも『おい可愛すぎるだろこのやろう』と観客(とタダ)に思わせる匙加減で演じちゃうどぅーは、さすがとしか言いようがありません。
言葉がほしいって、苦しそうに歌うフロルの、その思いの強さが歌の揺らぎにのっていました。

なのに、要所要所で控えめにつぶやく、甘えたような可愛い台詞。
タダじゃなくても、落ちるにきまってる。

可愛かった。






**

長くなったので、とりあえずここまでにします。
続きはまた今度。


その前に、最後に一言だけ。
まごう事なきネタバレです。








最後の最後、暗転直前のキスシーン。

いろんな意味で、死ぬかと思いました。

あそこで戻れないところまで行ってしまったと言っても過言ではないでしょう。
頭に過ぎったのは道重さゆみ大明神の卒コンでした。

だーどぅー沼。そこはエデンへの入り口。

ありがとうございました。

二人の17歳の卒業

5月31日になりました。
昨日と今日は、ハロー!プロジェクトにとって、大きな意味のある2日間です。

昨日は、アンジュルムの田村芽美ちゃん。
今日は、モーニング娘。'16の鈴木香音ちゃん。
それぞれ武道館での公演を持って、アンジュルムモーニング娘。を卒業します。



二人の卒業が発表されてから、たくさんのことを考えました。
純粋に悲しいとか、寂しいとか、なんで今なんだろうとか、そういうマイナスなことも含めて、たくさんたくさん、色々なことを。
今17歳、今年18歳になる二人が、今卒業を決意するのは、何か大きな出来事があったのだろうかと。


そして彼女たちだけではなく、彼女たちと同い年に、鞘師里保という、小さくて大きな女の子がいたことに辿り着きました。


モーニング娘。の、ひいてはハロー!プロジェクトの顔として、最前線で戦い続けた鞘師は、自分の夢を追い求めて、昨年末に羽ばたいていきました。
彼女たちは、その背中を見送る側として、眺め続けていたのです。

17歳の鞘師が未来を見据えて卒業をして。
さらにその背中を強く胸に刻み込んだであろう田村と鈴木が、自分の夢のために卒業をする。

ハロー!プロジェクトと卒業は、切っても切り離せない出来事です。
それはおそらく、モーニング娘。から福田明日香さんがいなくなった時から。
そうやって加入と卒業を繰り返して、時代を紡いでいくのがハロー!プロジェクトというものだから。



何年も様々なアイドルの子たちを追いかけている間に、気づいたことがあります。
彼女たちの中には、いつか二つの夢が生まれるのだろう、と。それは、「アイドル」としての夢と、その先の「未来」の夢。
アイドルとして叶えた、叶えたかった夢があったからこそ、彼女たちはその先の未来を見据え始める。
それは、青春時代という人生において一番多感で貴重な時期に、アイドルとしてステージに立っていた彼女たちだったからこそ考えることのできる、我々の知らない世界だと思います。



17歳。
永遠のセブンティーンなどと揶揄されるように、ある意味若さと青春のアイコンにもなっている年齢で、彼女たちは新たな夢に向かって、大きく舵を切りました。それはアイドルとしての夢を叶えた、彼女たちだからこそ選ぶことのできる、新たな挑戦への切符です。
その夢は、芸能界でもの外の、もう、我々ファンの目には触れない別の世界かもしれません。

私は、ただのファンです。
接触イベにも実際のコンサートにも殆ど足も運べず、映像や音源や写真の中の彼女たちを応援するだけの、遠い遠い、ファンです。
私は、彼女たちの家族や友人、事務所のスタッフではありません。いわゆる「身内」という存在からは程遠いところにいます。街中ですれ違っても、別に気に留められもしないでしょう。
でもこれだけは言えます。彼女たちのことが、大好きです。
彼女たちは、見ず知らずの私たちに笑顔と夢をくれました。画面越しの彼女たちは、いつだって輝いていて、そんな彼女たちに、私は何度も救われたのです。
可愛くてかっこよくてキュートでチャーミングで、努力も悲しみも悔しさも全部糧にして、生き様としてアイドルを表現している。同性として、それはとてもとても尊いことだと思います。



17歳。
大人と子供のちょうど境目の、そんな時。
大人になる為に、別世界へと羽ばたこうとする彼女たちの決断を、私は笑顔で見送りたいと思います。

……きっとたくさん泣いてしまうんでしょうけど!笑

残念ながら現地には出向けない私が参加するのはライブビューイングなので、私の声が直接彼女たちに届くことはありません。
それでも最後は笑顔で、ありがとう大好きだよと、精一杯伝えたいと思うのです。
見ず知らずの1ファンとして、できることはそれだけだし、それが私にできる唯一の彼女たちとの接点だから。



めいめい、かのん、卒業おめでとう!
ありがとう!
これからも大好きだよ!!

I'll be… Won't you stay?


ずいぶん前に取っていたはてブのアカウントですが、初めて書く記事が、こんなものになるとは 思いませんでした。
生放送を見る前に思っていたことを一気に書き留めたものですが、せっかくなので、残しておきます。


* * *



物心ついた時から、彼等と共に生きていた。


母が、彼等のファンだった。

私が幼い頃から、いつも彼等の歌を聞き、彼等の出演するテレビを見て育った。

毎日のように母と弟と買い物に行った。その時、母の運転する車内のBGMは、いつも彼等のアルバムだった。夜空ノムコウ。ノムコウとはなんだろう、と幼い頭でよく疑問に思っていた覚えがある。


生まれて初めてコンサートを見に行くということを経験したのは、8歳の時だった。ツアーの地元公演。裏スマだった。黒字にショッキングピンクでロゴの書かれたバスタオルは、今だに実家に眠っている。

幼かった私を母は県外公演に連れて行くことはしなかったが、アルバムは毎日のように車で聴いていた。drink!、MIJの2枚は、歌詞を全て空で歌える程度には、家族でたくさんたくさん聴き込んだ。私たちの毎日に、彼等の歌があった。


実は私には中学時代、人間関係があまりうまくいかなかった時期があった。部活を辞めよりどころもなく、学校から帰ってきては家で泣くことが多かった。

そんなふさぎ込んだ私を、気分転換だったのだろうか、母が連れて行ってくれた映画が、HEROだった。映画を見ている時だけは、つらい気持ちから逃れられていた気がする。彼等は沈んだ私の気持ちを、スクリーンや画面を通じて、少しずつすくい上げてくれた。


進学と同時に私が上京したことをきっかけに、彼等のコンサートツアーの東京公演に参加することが叶った。

DVDでいろんなコンサートを延々と見続けていたとはいえ、私にとって彼等のコンサートに実際に参加するのは10年以上ぶりだった。

CDで聴いていた際、この曲はどうなるんだろうか、こうなるんだろうか。色々と予想していたものは、全ていい意味で裏切られた。あの頃から10年。私の知っている彼等が、そして私の知らない彼等が、ステージの上にいた。


その1年後だ。

50枚目のシングル発売と、アニバーサリー記念を兼ねて、シングル50枚40分近いメドレーが放送された。正直、なんて無茶をするんだ、と、当時は思っていた。私の好きな、10代の女の子が中心の別のアイドルグループですら、20分のメドレーで大騒ぎになるレベルだ。恐ろしいことをしてくれると思っていた。

母と一緒に、放送を見た。

汗だくで、40分50曲、歌い踊りきる彼等の姿は、まぎれもないプロだと思った。ハッピーバースデー。一緒に画面の前で手を叩いた?

まさかその1年後、さらに過酷なメドレーを行うことになるとは、つゆ知らずに。


1年後に何が待っていたのか。ファンは想像に難くないだろう。27時間テレビだ。

武器は、テレビ。全員が坊主のビジュアルを見た瞬間、ファンであろうとなかろうと度肝を抜かれた人は少なくないだろう。

坊主のアイドルは某田中氏くらいのイメージしかなかった私は、もちろん度肝を抜かれた。今度は何をしでかしてくれるのだろうと、まるで他人事のように思っていた。

実際何をしでかしてくれたのかといえば、26時間の放送を乗り切り、最後の最後のプログラムで、彼等は約45分のメドレーを、屋外のステージで生で歌って踊りきって見せたのだ。

直前まで降り続いていた雨は、彼等の出番と共にぴたりとやんだと聞いた。

満身創痍で歌い踊る彼等を、画面の前の私は泣きながら見ていた。胸に手を当てながら涙で声を詰まらせつつ歌う様子を見て、息が詰まるかと思った。

drink!に収録されていたFIVE RESPECT、「あいつは30」と自らネタにしていた彼は、もう四十路をこえていた。


その年のツアー。東京公演のチケット先行から漏れてしまった私たち母娘は、名古屋まで足を伸ばした。ツアーの前回公演からしばらく間の空いた、名古屋2days公演初日。間が空いてしまったせいか、トークの中で「スタンドマイクの高さが違う」というハプニングが暴露された。これはこれで貴重な経験だったのだろう。

「みんながステージを見ていない様子を見せてくれ」といわれ、会場全体でステージから背を向けた際、「怖い!怖い!」「これはつらい!」と大騒ぎしていた彼等を、私はよく覚えている。去年、もう年が明けたのでーーー、一昨年の出来事だ。


私の二十数年余りの人生、常に彼等の存在がどこかにあった。

もしも彼等がいなかったら、私は今の私ではなかっただろうし、彼等がいなかったわたしを想像することは、私には不可能だ。

私を私たらしめる存在、それが彼等だ。

SMAP

私の人生の、かけがえのない存在だ。



SMAPは毎年、年末の紅白を終えたあと、CATVのスペシャルに参加する。

一連の報道で、ジャニーズ事務所内で派閥かできていることは周知の事実になってしまったが、SMAPはその派閥の影響があるのかないのか、年末年始のジャニーズカウントダウンコンサートに参加したことはない。故に彼等は、CATVのスペシャルに出演し続けていた。

この年末年始、2015〜2016のCATVのスペシャルで、SMAPはメドレーの中、「STAY」という曲を歌った。

ファンの中では非常に人気の高い楽曲ではあるが、一般の方には正直あまり知名度のない、CDシングルではなく、アルバムからの選曲だった。

2016年1月1日、きっと彼等は色々と葛藤している真っ最中だったのだろう。

この日、この場所で、あえてこの曲を歌ってくれたSMAPを、私は信じていたい。




この先どうしようもなくすれ違ったり
言い争いがあったりもしても
どうか道の途中で 手を離そうとしないでよ
ちゃんと繋いでてよ




私は、SMAPを信じている。