僕らの証明はどこにある

不器用で下手くそ それでも人生さ

I'll be… Won't you stay?


ずいぶん前に取っていたはてブのアカウントですが、初めて書く記事が、こんなものになるとは 思いませんでした。
生放送を見る前に思っていたことを一気に書き留めたものですが、せっかくなので、残しておきます。


* * *



物心ついた時から、彼等と共に生きていた。


母が、彼等のファンだった。

私が幼い頃から、いつも彼等の歌を聞き、彼等の出演するテレビを見て育った。

毎日のように母と弟と買い物に行った。その時、母の運転する車内のBGMは、いつも彼等のアルバムだった。夜空ノムコウ。ノムコウとはなんだろう、と幼い頭でよく疑問に思っていた覚えがある。


生まれて初めてコンサートを見に行くということを経験したのは、8歳の時だった。ツアーの地元公演。裏スマだった。黒字にショッキングピンクでロゴの書かれたバスタオルは、今だに実家に眠っている。

幼かった私を母は県外公演に連れて行くことはしなかったが、アルバムは毎日のように車で聴いていた。drink!、MIJの2枚は、歌詞を全て空で歌える程度には、家族でたくさんたくさん聴き込んだ。私たちの毎日に、彼等の歌があった。


実は私には中学時代、人間関係があまりうまくいかなかった時期があった。部活を辞めよりどころもなく、学校から帰ってきては家で泣くことが多かった。

そんなふさぎ込んだ私を、気分転換だったのだろうか、母が連れて行ってくれた映画が、HEROだった。映画を見ている時だけは、つらい気持ちから逃れられていた気がする。彼等は沈んだ私の気持ちを、スクリーンや画面を通じて、少しずつすくい上げてくれた。


進学と同時に私が上京したことをきっかけに、彼等のコンサートツアーの東京公演に参加することが叶った。

DVDでいろんなコンサートを延々と見続けていたとはいえ、私にとって彼等のコンサートに実際に参加するのは10年以上ぶりだった。

CDで聴いていた際、この曲はどうなるんだろうか、こうなるんだろうか。色々と予想していたものは、全ていい意味で裏切られた。あの頃から10年。私の知っている彼等が、そして私の知らない彼等が、ステージの上にいた。


その1年後だ。

50枚目のシングル発売と、アニバーサリー記念を兼ねて、シングル50枚40分近いメドレーが放送された。正直、なんて無茶をするんだ、と、当時は思っていた。私の好きな、10代の女の子が中心の別のアイドルグループですら、20分のメドレーで大騒ぎになるレベルだ。恐ろしいことをしてくれると思っていた。

母と一緒に、放送を見た。

汗だくで、40分50曲、歌い踊りきる彼等の姿は、まぎれもないプロだと思った。ハッピーバースデー。一緒に画面の前で手を叩いた?

まさかその1年後、さらに過酷なメドレーを行うことになるとは、つゆ知らずに。


1年後に何が待っていたのか。ファンは想像に難くないだろう。27時間テレビだ。

武器は、テレビ。全員が坊主のビジュアルを見た瞬間、ファンであろうとなかろうと度肝を抜かれた人は少なくないだろう。

坊主のアイドルは某田中氏くらいのイメージしかなかった私は、もちろん度肝を抜かれた。今度は何をしでかしてくれるのだろうと、まるで他人事のように思っていた。

実際何をしでかしてくれたのかといえば、26時間の放送を乗り切り、最後の最後のプログラムで、彼等は約45分のメドレーを、屋外のステージで生で歌って踊りきって見せたのだ。

直前まで降り続いていた雨は、彼等の出番と共にぴたりとやんだと聞いた。

満身創痍で歌い踊る彼等を、画面の前の私は泣きながら見ていた。胸に手を当てながら涙で声を詰まらせつつ歌う様子を見て、息が詰まるかと思った。

drink!に収録されていたFIVE RESPECT、「あいつは30」と自らネタにしていた彼は、もう四十路をこえていた。


その年のツアー。東京公演のチケット先行から漏れてしまった私たち母娘は、名古屋まで足を伸ばした。ツアーの前回公演からしばらく間の空いた、名古屋2days公演初日。間が空いてしまったせいか、トークの中で「スタンドマイクの高さが違う」というハプニングが暴露された。これはこれで貴重な経験だったのだろう。

「みんながステージを見ていない様子を見せてくれ」といわれ、会場全体でステージから背を向けた際、「怖い!怖い!」「これはつらい!」と大騒ぎしていた彼等を、私はよく覚えている。去年、もう年が明けたのでーーー、一昨年の出来事だ。


私の二十数年余りの人生、常に彼等の存在がどこかにあった。

もしも彼等がいなかったら、私は今の私ではなかっただろうし、彼等がいなかったわたしを想像することは、私には不可能だ。

私を私たらしめる存在、それが彼等だ。

SMAP

私の人生の、かけがえのない存在だ。



SMAPは毎年、年末の紅白を終えたあと、CATVのスペシャルに参加する。

一連の報道で、ジャニーズ事務所内で派閥かできていることは周知の事実になってしまったが、SMAPはその派閥の影響があるのかないのか、年末年始のジャニーズカウントダウンコンサートに参加したことはない。故に彼等は、CATVのスペシャルに出演し続けていた。

この年末年始、2015〜2016のCATVのスペシャルで、SMAPはメドレーの中、「STAY」という曲を歌った。

ファンの中では非常に人気の高い楽曲ではあるが、一般の方には正直あまり知名度のない、CDシングルではなく、アルバムからの選曲だった。

2016年1月1日、きっと彼等は色々と葛藤している真っ最中だったのだろう。

この日、この場所で、あえてこの曲を歌ってくれたSMAPを、私は信じていたい。




この先どうしようもなくすれ違ったり
言い争いがあったりもしても
どうか道の途中で 手を離そうとしないでよ
ちゃんと繋いでてよ




私は、SMAPを信じている。